今年もねぷたにでます!
え?北海道で、斜里で、ねぷた・・・って何?青森のだよね?しかも「ねぶた」じゃなくて?
っていうかたはこちらをごらん下さい。
☆斜里町役場:しれとこ斜里ねぷた
☆硝子の横笛♪:浮気の夏
もちろん、去年引っ越してきたばかりなので、私は斜里のねぷた2年生なんですが、今年、少し気になることがありマス。
去年に比べて、放送系のマスコミの取材が多いんです。
地元の方によると、何年かにいっぺん、取材の波がくるということなので、どうってことないのでしょうが・・・
それらの放送を見るにつけ、思うのです。
なぜ、ここ斜里で、ねぷたが始まったのか・・・の説明がカンタン過ぎる!
たいていは「斜里町は、青森県弘前市と姉妹都市なのが縁で、ねぷたが始まった」に集約されてしまうのです(注:追記あり)。
なんということだ。これは勿体無い!
津軽藩士殉難事件のさわりでもいいから説明すればいいのに・・・と思うのだが・・・
どうも、それらが報道されないのは、宣伝不足もあるんじゃないかという気がしてきた。
今の世の中、ネットに情報が出ていない事柄は、地球上に存在しないものとみなされている傾向がある。(そんなことは間違っている、と意識している人でさえ、Google先生の検索結果をかなり頼って生活しているだろう)
津軽藩士殉難事件について検索してみると・・・
たくさん情報はあっても、どれも簡略的、または難しすぎて、一目で「びびっ」と伝わる情報が無いのだ。
・・・恐らく、この事件が明るみになった昭和の時代から大分過ぎ、情報の目新しさが全く無いので、あまり注目されていないのだろう。商業的な情報でもないので・・・検索上位にひっかかるような「こぎれいな」情報としてのっかっていないのは、理解できるのだが。
・・・本来、心の深いところまで、びびっ、ときて、涙ナシでは読めない物語なのだ。津軽藩士殉難事件は。
私が初めて、涙を流してしまったのは、知床博物館研究報告 第17集に載っている、日置 順正氏の「津軽藩士殉難事件の概要とそれにまつわる過去帳と供養碑について」を読んだときだった。
(残念ながら、姉妹町友好都市交流記念館の展示を見たときではない・・・;;)
その研究報告は、津軽藩士殉難事件が世に出るきっかけとなり、斜里へ来た津軽藩士の様子が克明に描かれている「松前詰合日記」を要約した内容で始まる。
急な命令で津軽を出立することになった日。宗谷に落ち着くも、斜里という東の果ての地への派遣命令が出た日。
急いで建てた急ごしらえの陣屋。いよいよ冬が到来、押し寄せる流氷・・・
まず、この研究報告にある「氷押し寄せ、一同仰天」の文章に釘付けになった!
どうやら、松前詰合日記の本編にそういう記述が合ったわけではなさそうだが・・・(「皆はただ驚き入るばかりであった」という文章が該当するようだ)
オホーツク海には冬、流氷が押し寄せる、と知識として知っている、現代の私たちでさえ、畏怖する流氷。
何も知識が無いままやってきた、津軽人たちの驚き、不安といったら・・・。
そりゃあもう、一同仰天したことだろう、間違いない。
また、度重なる急な命令で出立する場面については、個人的に重なる思いがある。
数年前まで、かなり理不尽な業界で勤めていたので「来週からしばらく(数ヶ月~年単位で)東京に行ってほしいんだけど、明後日までに回答頂戴。」というようなことが、10年の職業人生で複数回あった。
(そのうち一回は、転勤直後の釧路で、落ち着いた矢先に言われた)
もちろん、前向きな気持ちで、納得した上で了承して、遠地へ出向くわけだが・・・それでも心の中に、もやもやした気持ちは残るものだ。
命令した人は、ぬくぬくと自宅から会社に、この先も通えるのに?なぜ、私だけそんな遠くに?みたいな(笑)
まあ、今のハードな日本のご時勢、同じような経験は、職業人の誰しもにあるんだろう。
・・・・だからこそ、この、津軽藩士たちへの共感が得られる時代なんじゃないかと思うのだ。
また、日記を残した斎藤勝利は、報告書作成を命じられた後、上層部から事件に関するかん口令が敷かれ、せっかく作った日記は門外不出の書となってしまった。
「昨日まで部長はA案って言ってたのに、今日からはB案、ってどうよ?!」みたいなCMがあったが、組織社会の理不尽さへの不満や、やり場の無いストレスは、今も昔も同じだろう。
・・・とにかく、これらの細部を含めたドラマ性が、今の日本に受け入れられるのではないかという気がするのだけれど、どうだろう?
ちょっと脚色しちゃってもいいから、小説にでもなって・・・映画とか、テレビドラマとか、マンガとか・・・そういうわかりやすいメディアで、紹介されないだろうか・・・
単に、この胸に迫る物語を、たくさんの人に知ってほしいのだ、同じ東北人として・・・
たとえば、斜里ねぷたが「おわら風の盆」みたいに、全国区になる可能性を持っているんじゃないかと、密かに思っている。(追記:ここで風の盆を例に出したのは、小説がらみで有名になった祭りを他に知らなかったからで、、、深い意味はない。)
松前詰合日記を大事に子孫へ伝えた斉藤家、何らかの理由で流出した後、昭和の時代になって、東京のある古本屋の店主が、研究者の高倉新一郎氏に託して世に出ることとなった偶然。
幾多のドラマを経て、斜里では毎夏、ねぷたが練り歩き、私は毎夜ぴーひゃらと笛を吹いている。
北海道の再東北端、斜里という見知らぬ土地に夫の転勤が決まって、心細い思いをしていた、去年の春・・・
やってきた斜里の町民公園で見つけた、たくさんの「弘前」の文字。ふるさと東北を思い出させる懐かしい地名に、安心感をもらいました。
それが、ねぷたに参加することになり、数奇なドラマの末端で、たくさんの人と出会い、町民以上に楽ませてもらうことになるとは・・・
何かの縁があったんだろう、としか言いようが無いんだけど、人生の不思議を感じてしまうんです。
以下、情報源です。
■松前詰合日記(活字本)
・・・斜里郷土研究会による口語訳。知床博物館で購入可能。
※ちなみに「まつまえつめあいにっき」と読みます。今風に言うと「北海道へみんなで出張したときの日記」というかんじでしょうか。
■北海道大学 北方関係資料総合目録 松前詰合日記 / 斎藤勝利
・・・全文のスキャンデータありだが、普通の人は読めませんよね;;
■斎藤文吉の「松前詰合日記」を考える
・・・上記活字本からの引用が豊富で、恐らくネット上で一番詳しく日記の内容を読める記事
■知床博物館研究報告 第17集
・・・残念ながら、電子データはありません。
■横笛奏者 佐藤ぶん太、 祈り 縲恂ーる魂(こころ)へ縲鰀(動画)
・・・手っ取り早く、「びびっ」を感じたい方は、是非こちらの動画をごらん下さい。テロップで殉難事件の概要、弘前と斜里の不思議な共通点、ぶん太、さんがオリジナル曲にこめた、藩士たちへの思いが伝わってきます。
<追記>
シリエトクノート 2011 夏号 でも、松前詰合日記が紹介されました!重鎮諸氏へのインタビューもあり、斜里ねぷた創始のころから現代へ続くスピリットもわかります!
<追記2>
その後、続々とテレビでも詳しく紹介されました。どうやら「斜里ねぷたの由来が気になる波」が、今年、私以外にも来ていたようです。
■7月28日(木)18:10縲怐@ネットワークニュース北海道(前日には同番組北見エリアでも放送された)
■8月5日(金)19時30分~、8月19日(金)24時15分~ NHK総合テレビ(全国放送、一部地域を除く)「クイズでGo!ローカル線の旅(釧網線)」
<追記2.1>
■NHK さかのぼり日本史 シーズン1 江戸”天下太平”の礎 第1回 「鎖国」が守った繁栄
<追記3>
2012.8.8 追記
■漫画とかになればいいのに~。とつぶやいていたのですが、実はすでになっていたことを、最近知りました!
斜里青年会議所 サイトで、pdfにて閲覧可能。左の「絆の祭」をクリック。(結構データでかいので注意)
[…] 今年は、少し周りを見る余裕も出てきたので、前回記事で色々書いてしまったこととか、出演しながらも色々頭に浮かびました。 […]